衣服に拘束される事で、「わたし」という裸の存在が隠蔽される。
隠蔽されることで、裸の存在は秘部として立証され、社会的規範への従順な記号となる。
秘部とは、モザイクであり、その向こうには想像以上のモノは何もない。
しかし、私たちは永遠に隠蔽し覆うのである。

そして、衣服は隠蔽し、強調もする。
覆われてはいるが、ある一定の最終到達点さえ秘部として立証されていれば、 隠蔽は成立し、肌や形が“あざとい”程に強調される。

ときに、私たちが抱いている別の自分になりたいという〈他性〉への渇望を、
衣服を取り換えることによって、そのつど可視性を転移させながら、 いつもほんの少し満たしてくれる。
それは「わたし」という、そもそもの裸の存在に小さな変換、 細やかなエクスタシーをもたらす。

また、写真は「わたし」という可視的な存在を隠蔽、または偽装する。
ありのままの「わたし」だと充足されない、どこか隠蔽・偽装されていたり、
匿名的なのに同調的な二律背反な一面を個性だと狂信している。
それは、私たちが脆弱なフィジカルの持ち主であるという混乱的存在なのかもしれない。

私たちの可視的な存在の「わたし」は、「わたし」でなかったり、「わたし」なのである。
故に、混沌であり、矛盾な存在なのだ。

絶えざる偽装、果てしのない移行。隠蔽と強調。
着るとは何か?写す・写るとは?


2022-2024

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2024 XXXXXXXX-XXXXXXXn> DAY1 10am-6pm OTHER 10am-5:30pm

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2024年X月X日(X)ーX日(X)
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